SEKAI NO OWARIで哲学する〜「死とは何か」編〜『不死鳥』

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SEKAI NO OWARI で哲学するとは?

SEKAI NO OWARIのことが大好きな僕が、セカオワの楽曲の深い歌詞について、勝手に哲学するものです。セカオワの曲には、たくさんの”考えさせられる”ものがあり、それについて噛み砕きながら、僕の見解や想像、考えを話していきます! 

簡単にゆうと、曲に出てくる歌詞を深掘ってみよう!ということです。

では、SEKAI NO OWARIで哲学するのお時間です!
今回は「死とは何か」ということで、セカオワの「不死鳥」という楽曲を取り上げます!

目次は次のようになってます。

①歌詞の解説

「不死鳥」は、

一人の人間と不死身のロボットが恋に落ちるというストーリーです。
人間は「不死になりたい」と願い、不死身のロボットは「永遠なんてなくなれ」と願っています。

歌詞中にこんなフレーズが出てきます。

神様の発明 誕生するすべてのものには
終わりをプログラムするというこの宇宙のルール
ロボットの神は人類だから天国なんかないのかなぁ

作詞:深瀬慧
作曲:中島真一

確かに、生命には「死」という終わりが必ずありますね。ロボットが不死身なのは、「人類がつくったから」と表現されています。

神様がつくったもの=終わりがある

人間がつくったもの=永遠

本当にそうなのかは別として、おもしろい考え方だと思います。

では、なぜこの世には「終わり」が存在するのでしょうか。

もしもこの聖なる星が降る夜が最初から存在しなかったのなら
あの真っ白な世界を朝とは呼ばないわ
終わりの無いものなんて最初から始まりなんて無いの

作詞:深瀬慧
作曲:中島真一

”夜”が存在しなければあの真っ白な世界を”朝”とは呼ばない。
終わりがなければ始まりもない。確かにそうですね。
ん〜、深いですね〜

死がくれる世にも美しい魔法
今を大切にすることができる魔法
神様 私にも死の魔法をかけて
永遠なんていらないから終わりがくれる今を愛したいの

作詞:深瀬慧
作曲:中島真一

ここでは「終わりがくれる”今”」と表現されています。
終わりがなければ始まりもないし、終わりがなければ”今”も存在しない。
存在しないというか、”今という概念”が存在しないと言えると思います。

終わりがもたらすものは、大きいものなんですね。

②ひらりくの見解

僕は今までに永遠を願ったことがあります。
「この幸せな時間が永遠に続いてほしい」
「この瞬間を永遠に生きてたい」
「この学校生活が永遠に続けばいいのに」

もしその永遠が実現したら……?
最高! 幸せ! 楽しい!
そんな感情でいっぱいになるなあと想像していました。

しかし、

この「不死鳥」を聞いてこんなことを思うのです。

その今感じてた「幸せ・楽しさ・充実感」は、そうでない「嫌・つまらない・退屈」という瞬間があるからこそ感じられるものなのだと。

だとすれば、

もし「最高!・幸せ!・楽しい!」という瞬間が永遠に続いたら
本当に楽しいという感情は生まれるのでしょうか。存在するのでしょうか。

“辛い”があるから”幸せ”がある
“つまらない”があるから”楽しい”がある
“嫌い”があるから”好き”がある

終わりがあるから始まりがあるように、
マイナス面を知っているからプラス面を知ることができるのではないでしょうか。

③死(終わり)とは何か?

死とは何か。

それは、

今を大切にすることができる魔法 です。

僕はそう思います。
歌詞に出てくるフレーズを丸パクリしてしまいましたが、本当にそう思います。素敵な表現ですね。

死があるからこそ、終わりがあるからこそ、
“今”という瞬間に価値が生まれる。”今”というこの時間が、かけがえのないものになる。
終わりが約束されているからこそ、大切に思えるものがあるんだと思います。

一度きりの、終わりが約束されているこの人生を、
もっと大切にして生きていきたいと思います。

みなさんは、なぜ死(終わり)があると思いますか?

もし永遠があれば、どうなると思いますか?

  記事を読んだ後で、もう一度曲を聴いてみてください^^

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